定年後に知った、心豊かなドラマ「寛ちゃん先生」

現役の頃は、全国有数のホテルチェーンの営業マンとして「切った貼ったの生活」を札幌から那覇までの、全国有名都市で活躍、多くの実績、人脈も作りました。定年後、、数年は小金も有り、遊んでいました。その頃、ぼんやりと考えた事で、、
それは
「青少年の悲惨な事件について、純粋な天使の心を持って平等に生まれてきた子供達はどの時期に、家庭内暴力で親を殺したり、怖い犯罪を犯す様に至ったのか?」でした。自分達の幼い頃では、考えられない事件ばかりです。
「一体何がいけないのか?」
私には、それを知ってみたい気持ちが、心の奥の方に残っていました。

結論は、矢張り幼少時の子供達への「家庭での愛」「世間の愛」の不足だと気附きました。

生まれて初めての、園庭清掃による園児との交流は、一言で言い表しますと、その懸念を吹っ飛ばす「楽しいの一言」につきました。
園児達との触れ合いに「若さ」と「元気」を貰います。
大人に成ってくると、、「こんな事を発言したら不味いかな?」の懸念が出るのですが、これについては、園児達は全くの「無防備」です。何でも思った通りに口に出します。本当に、大人では思いもつかぬ、楽しい言動に幾らも出会います。

その中で、特に「心が通じ合った、思い出深い園児だった子」との思い出話ですが—
卒園した年の4月中旬頃に「寛ちゃん先生ですか?」と、、30歳半ばの健康そうな綺麗な女性が、その子を連れて作業中の私の目の前に現れ、突然「私がこの子の母親です」と言われました。
この時の様子を
「園児だった頃の様には、互いに息が詰まり、意識しすぎて、喋れなかった」と久留米市で開業医をされている親友の奥さんに話しましたら、
「まるで、、初恋の人に会った時みたい!」と表現されました。
彼女は「その子はお母さんに、ちゃんと幼稚園での出来事を、話しているのですね?立派なお母さんですよ!」と、、言われました。

この年に成りますと、、誰もが体験することですが—
誰が亡くなったとか、誰が入院したとか、、の寂しい話が多くなるのですが、、、
園児達との仕事中の会話では、大人同士では考えもつかない世界が発生致します。これが、、とても「楽しい」のです。
なんと言っても「若さ」と「元気」を、、時としては「感動」も貰います。
現役の頃では、「対予算、対予算」で、、、それは仕方の無い事でしたが、、

定年後は、環境も変わり、新しく「仕事を通じての喜び」を体験出来、私の「老後のドラマ」は「心豊かなドラマ」と成りました。
これは、幼稚園の理事長他のスタッフが、長年の努力で育んだ園全体の底辺で流れ伝わる、園児達への「愛」に起因するかと思っています。

矢張り、、老後に「仕事に従事する」事は、「健康が第一条件」では有りますが、精神的にも、健康を維持するにも、大変重要な事と改めて思います。
具体的に、仕事のある日は、朝5時に起きて、朝の7時半から11時半迄の4時間勤務致します。園庭は大きな樹木と季節の花花に囲まれて広いのですが、この勤務が適度な運動ですので—
帰宅して昼食そして、、ぐっすり昼寝です。

「柏市生涯現役促進協議会」のチラシを拝見して、素直に思うことがあります。「家でゴロゴロしても?仕事はしたいが?」と、働く場所を御希望されている方に敢えて、申し上げたい事が御座います。
逆に、一方では、その様な老人を、熱心に探し求めて居られる機関も柏市にも有ると言う事です。
最後に、たった一言「働く事は楽しいです」       

                           文責 橘 寛治

2017,5,26

※橘さんは六代目北川新十郎としてもご活躍されています。その活動のご様子はこちらからご覧いただけます。 http://kitagawashinjyuro.web.fc2.com/ (編集担当)